We can't be defeated
Avicii - Wake Me Up (Lyric Video)
Aviciiの死。
なんとなくウェブを巡っていたら出会った記事だった。
クラブに入り浸る身でもなく、ただEDMが好きなだけで、Wake me upからAviciiの曲に出会った。
爽快なメロディーと、郷愁・勇気に満ちた歌詞。
いつでもAviciiは人生の美しさと、孤独だけど強がりな歌を歌い続けてきた。
世界的な名声を得た彼が、どうして自死に至るなんて予想できただろうか。
"Wednesday,my empty arms were open"
空っぽの体で、燃えかすのように輝きながら、「愛」を求めて。
その「愛」は注がれるのか分からないが、彼は、一人一人は取り替えの効かない生命だと言い、意志あるところに道あり、それを阻むものなどない、と鼓舞する。
「愛」が注がれるならこの道行きは誰にも止められることはないのだと説く。
なあ、じゃあ誰がAviciiに愛を注いだっていうんだ?
私たちは、愛を求めている。
家族に友人、恋人、愛犬愛猫……
実のところ私は夢見がちだから、無償の愛は存在するのだと思う。
それが血の繋がらない他人にできることがあるかは分からないけれど、10年前、発病と共に荒れに荒れた私を、やつれた体で母は受け止め、父はじっとそれを見守っていた。
酷い言葉を投げかけた日もあったし、自分の体を傷付けた日もあった。
行き所のない苦しみが暴力になった日もあった。
それでも母は今の私を見て、その誤ちをただただ受け止めてくれる
成長するにつれ、母親は完璧なのではないと知る。
母娘の関係は複雑で、母自身の欲望が決してないとは言わない。
だけれど、母の胸には「娘さえ幸せになればいい」という炎がある。
私が生まれてから28年の道行の中、嵐に晒された家庭においても、ただただその炎を灯して、母は走り続けた。
今夏、あの7月6日、多数の死者を出した豪雨の中、松本智津夫の死刑が粛々と執行される中、母のオペは行われ、そして、母は生き抜いた。
三度の癌を乗り越え、消化管を失って、それでも私の傍に優しく立つ母に、どうして無償の愛が「ない」と言えるのだろう。
愛犬は無垢な眼差しを私に向ける。
オカメインコの瞳は好奇心に満ちていて、文鳥はクールに水浴びをする。
愛は、注がれる。
そして私たちはそれを誰かに注ぐ。
注がれた愛の受け渡し。
愛という道がどこに終結するのかは知り得ないけれど、どこから始まるのかを私たちは知っている。
私の腕も空っぽのことがある。
そこにあるはずの愛にも気付けないで、ただ打ちひしがれる日がある。
「くうきあな」が猛威を振るって、孤独と不安に苛まれる。
だけれどそれは、空っぽなんかじゃないよ、と母は笑った。
"If there's love in this life we're unstoppable, No, we can't be defeated"
Avicii
Avicii - Talk To Myself (Lyric Video)