くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

「沼」とその趣向、生き方

ハマると抜け出せない趣味のことを「沼」と云う。

私は目下香水沼の住人であるけれど、twitterを見ればご存知の方もいるように、万年筆やインクなどの沼に片足を・・・とまではいかねど、沼の淵を彷徨っている、と思う。

 

フォロワーさんに紹介されて、注文した「趣味の文具箱」

ここに驚くべき万年筆・インク沼の生態が記されており、おじさんは正直ぶったまげた。

万年筆とインクは切り離せないものだが、実はそれぞれの沼は絶妙に異なると思う。それゆえ、自分の「現状の」気持ちを書きたい。最後に香水沼についても記す。

 

まず、万年筆本体について。

いつ頃からだろうか、ペリカンの美しい縞模様、輝く金のペン先、存在感のある太さが気になっていた。

上記の雑誌にも、数多あるメーカーの万年筆が掲載されていたけれど、やはり現状食指が動くのはペリカン。次点でアウロラ

 

「万年筆コレクター」がいるらしい。

文字通り、丁重に扱えば生涯使えてしまえるペンであるがゆえ、メーカーは限定色や新色を出して売り出す。これは集めたくなる。資金さえあればね!

私が、愛する幼馴染の父君の形見分けとしていただいた、パーカーのボールペン、これはその父君のボールペンコレクションの一つだったそうだ。

ただ私は、万年筆という「常に書くことに寄り添う」「高価な」文具であるという点で、あまり多数に手を出したくない気持ちがある。

ペン先の太さに関しては、用途があるためバリエーションは必要だと思うが、せっかく何万円も出して購入した「その子」は「誰かに握られ、書くため」に存在する。

それを飾り物として置くことには違和感を覚える。

書くことに情熱があるなら、その万年筆を尊重するなら、その一本を常に愛すべきだと考える。

 

したがって、私は今の所有万年筆に概ね満足している。

これ以上集めたいという気持ちはあまりない。

ただ例外的にいつか欲しいと思うのが、名高きモンブランから出されている「作家シリーズ」より、敬愛し、尊敬し、崇め奉り、心酔する「アレクサンドル・デュマモデル」である。なんと10万円近いのだとか。

・・・まあ、いつか。

 

次に、インク。

今回入手した「趣味の文具箱」には各社より出ているインクの色見本がついている。

どれも美しい。

特に、エルバン社のカラーが好みで、かつて使われていた古典インクにも興味はある。

だが、万年筆と「多数のインク」は相性が悪い。

インクの入れ替えには、必ず洗浄が必要で、このメンテナンスが煩わしい上、同時並行に様々な色を使って行こうと思うと、その数だけ万年筆を用意しなければならない。

インク沼の人間がそれを千円の万年筆で妥協するとはあまり思えない。

(蛇足になるが、パイロット社のカクノは千円とは思えない凄まじい書き心地で、スケルトンモデルなどインク色が見えて美しいため、これを多数揃えるというのも手段だと思う)

更に万年筆は内側でインクが固まると書けなくなってしまうため、頻繁に書く必要がある。なかなか使わない色を入れて置くことにはデメリットしかない。

 

そこで思いついたのが、「ガラスペン」の存在で、これはケアが洗うだけでインク色を変えられるという代物なので、インク沼との相性が良いように思う。

数週間前から、美しいなあ、と眺めており、近所の雑貨屋で手に入るのがわかったので本日入手したけれど、その使い心地については割愛。twitter見て。だってまだ使いこなせてないもん。

 

インクにも使用期限がある。

やはりインクというのも、使ってなんぼのもんだと思うわけである。

そう考えると、とりあえずひと瓶購入したら、そこそこには長く使いたい。

 

・・・と、いうのが、今の時点での私の「万年筆沼」「インク沼」への気持ち。

ただ、香水沼にこんなにもずっぷりハマると思っていなかったように、いつか心変わりするかもしれない。だから、この一文で予防線を張って置く。

 

Apple Pencilで勉強をしていた人間が、万年筆にねっとりインクを入れてツバメノートで勉強するなんて、退化も甚だしいが、これはこれで勉強が楽しくなるので、私は良いと思っている。

 

最後に香水沼について。

初めて買ってもらった香水は、シャネルの「クリスタル」だった。

その次にNo.5が好きになり、エルメスの香水が好きになった。

twitterで香水好きの方々と知り合い、メゾンフレグランスなるものを知るに至り、その奥深さに感嘆している。

 

プルーストも書いている通り、嗅覚と記憶は結びつく。

シャネルのチャンスを嗅ぐと、私はワクワクと恋に身を踊らせていた春を思い出す。

 

香水には使うべきTPOがあり、気分があり、季節がある。

沢山集めても、必ず使う日がやって来る。

使われるためにあるものが、その用途のために使用されないことは哀れだ。

だけれど、香水は纏ってもらえる。

それが一年の内夏だけであっても、冬だけであっても、夜だけであっても。

香水沼の香水たちは、報われている。

私はそう信じている。