くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

トンデモ医学の支持者が求める安らぎ

最近の楽しみの一つが、トンデモ医学(特にスピリチュアル系)をバッサバッサと切り捨てるブログを読むことだ。

 

自分が全く知らなかった範囲のトンデモがこの世には存在する。

昔から私が違和感を感じていたのは、自然派の出産だとか(海で産むらしい)、胎内記憶、赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる、といった女性にまつわるスピ系「詐欺」だ。

 

こういうものをバッサリ切っていただくのは、ずっとこのスピリチュアル系をウォッチングしている方の方が上手だし、面白い。

 

一応、理系の大学を卒業した私には、恐らくはそれなりの科学的常識、思考が備わっている、と言えるだろう。

中でも「赤ちゃんがお母さんを選んでくる」ということには、多くの方が言及されていることだが、虐待死した子はどうなるのだ、不妊に悩む母は「選ばれない」存在なのか。このように、ごくごく普通の良好な親子関係にある者にはハッピーなファンタジーが、何気なく盛大に誰かを傷つけているということに、胸が痛む。

 

そういうスピ系のことを吹聴する人間の側では、きっと頭ではそんなことないと思いながら、詐欺のためにこういうことを語るのだと思う。

だけど、この人たちが悪というわけではないのだろうとも思う。

「子宮委員長はる」氏にしても、その内容は科学的には意味不明の領域に達していても、まあまあの数の女性が賛同しているのだ。ジェムリンガなんて使って。

胎内記憶ということも、親にとってはもしそんなものが存在するとしたら、より我が子への愛おしさが募ることだろう。

 

トンデモ科学の台頭に、悪いのは詐欺をするやつだ、というのも勿論あるが、その背後には「一般の」純真無垢で、どうにか幸せになりたいと感じながらも、現在の状況では「何かが足りない」と感じる人たちがいるのだ。

 

例えばガン一つとっても、エビデンスとしてはスタンダードの治療を受けるのがベストと言える。それでも、弱った人間にできることは、「これだけでは助からないのではないか、もっと何かできることがないだろうか」そう必死に悩むからこそ、サプリメントや果は宗教にまで入って「+α」の治療を受けようとする。

 

私の母もよく癌になっていて、その度に母がサプリメントを買うのを見てきた。

患者たる母には何も努力できることがないのだ。でもかかっているのは自分の命。

自分のために何かしたい、そう思うのが人の心の摂理ではないだろうか。

 

自然派の話に戻ると、結局こういうものにハマる人たちは、現代医学に対して多少の不安を抱いている。

画一的にアルゴリズムで処理され、治療を選択して行くことでは、(それは正しい道なのだが)どうにも自身の気持ちを置いていかれてしまった、自分にとって大切なのはそこではない、どうして自分だけが、という気持ちを抱かせるのだと思う。

 

全人的医療を謳いながら、患者さんの悲しみの匂いを、医師がかぎ取れていない。

その悲しみの匂いに惹きつけられて詐欺師がやってくる。

 

これでは悪循環ではないか。

 

トンデモ医学は否定するが、それを求めてしまう患者さんの気持ちは、否定されるべきものではない。

 

患者さんにとっては、お金を払って何かをすることしか、希望に見えないのだから。

ここを、医療側がケアという形で加えて行くこと、正しい科学的素養を持っていただくように支援して行くことなど、トンデモを否定し続けるだけでは、決してその詐欺の被害者には声は伝わらないのだから、患者さん自身に、いまのスタンダードな治療がどれほどの効果をあげているのか、ということを広く認知していただけなければならないのだろうと思う。

 

祈ることも、プラセボ的な意味で、治癒には必要なことだ。

医療者側も、「それは疑似科学です」と捨てるのではなく、患者さんが安心してスタンダードな治療を受けられるよう、患者さん側の祈りやサプリメントでの支えを得たい心、これらを理解して治療方針を決めて行くべきだと考える。