特技は、作文
例えば、西尾維新の本を読んだ時。
TYPE-MOONのテキストを読んだ時。
圧倒的な敗北感を覚える。
小説を書く時、その人の語彙の中でしか出てこない。
こんな言葉は思いつかない、そんな絶望感がある。
ブログは、エッセー。基本的に。
この分野は、結構得意だ。
それでも、文章が素敵と褒められると、容姿を褒められるよりも嬉しい。
書くことは、自由だ。
思い悩むこと、日常の小さなことから見出した得も言われぬ感動。
私にとって、そういうものを表現する術として、作文がある。
短歌もたまに詠む。
言葉は自由だ。
その自由さに魅了されている。
読書が好きなのは、小説という形態を通して明確な描きたい「何か」が存在するから。
又吉直樹の「火花」を推している。
彼の中で渦巻く情念。
きっと、自分たちは売れていく中で、売れなかった芸人たち、どれだけ頑張っても挫折しかない未来、それでも芸能界のしきたりに従って、先輩は先輩らしく振る舞おうとする。
その哀しみ。
ネタバレになるが、最後のシーンでおっぱいをつけてしまった彼。
そこに又吉は畳み掛ける。
その言葉は、又吉にとってのお笑いの哲学なのだと思う。
どれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、報われないことは確かに存在する。
努力は裏切らないと、私たちは幼い頃から教育されるのに、世界はこんなにも残酷だ。
その残酷さを目の当たりにして来た又吉にとって、それは全力で伝えたい哀しみだったのだろうと思う。
様々な小説があるが、ここまでパッションを感じた作品は数少ない。
伝えたいことがあること。
それが、小説という形態にある軸なのだ。