くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

医師のベクトル

問い。

◯◯な医師になりたい

の◯◯をあなたなりに埋めなさい。

 

こう聞かれれば、なんだか適当に医学部入っちゃって人生の路頭に迷ってる医学生を、自分がどの方向に進むべきなのかを提示してくれるように思う。

 

治療法のない病に苦しむ人を救いたい、なら研究をすれば良い。

手の施しようのない癌患者を救える医師になりたいとなれば、研究か、緩和などの道が提示される。

 

何科に行きたいですか、と将来の診療科を問う前に、自分の医師としてのベクトルを持つようにすれば大分迷わずに済むように思う。

そうすると迷っていた診療科が決まったりする。

別に上に提示したような人当たりの良い答えでなくても、とにかくお金を稼いでゆったりできる医師になりたい、とかでもいい。

QOMLの高い科に行けば良いのだから。

 

自分が人生において何をなしたいか、「夢」を持ちなさいというのは難しい。

なぜなら誰もが山中伸弥になれるわけではないからだ。

大半の人が、平凡な人生を送り名を残すことなく死んで行く。

非凡でありたいと思えば思うほどその苦しみは増すだろう。

 

だけれど、医師だけではなくて、その他サラリーマン始め一次産業から三次産業まで、誰かの役に立たないなんてことはないのだ。

あなたの一手はきっと誰かの笑顔を作り出している。それが領収書にひたすら判子を押すことであっても。

 

なんだか私らしくない情熱的で夢見がちな文章だ。

でも、実は私は夢見がちだし情熱的である。

 

人生に夢はあった方がいい。

誰かを幸せにする方が絶対に楽しい。

自ら地獄に嵌る必要などないのだから。

 

ちなみに、私の医師としてのベクトルは、「目に見えぬ精神疾患という苦しみに寄り添える医師になりたい」である。

某先生からは患者を救うなどと考えてはならない、正義を振りかざしてはならないと言われた。

それを肝に命じた上で、そういうドクターになりたい。