くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

夢も、希望もあるんだよ

 

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"幼いころ、「いっぱい勉強しておきなさい、そしたら自分のやりたいことの道がいっぱい広がるよ」と両親に教わり、純粋にたくさん勉強に励んできた君は、その甲斐あって医学科に行くことができた!

しかしそのときふと先を見ると、好きなように選べたはずの道が、険しい1本しか残っていないのだ。”

 

森見登美彦的大学生活を送ってきた医学生ですどうも。

でも、この記事には共感するところがとてもあった。

愛知県の某私立医大に通う友人からは、「早く卒業したい」という声を聞く。学校がキライだと。

うちの大学はそうでもないように思う。そこは大学による雰囲気の違いなのだろうと思う。

だから、医学部だからって大学生らしいリア充ができないなんてことはないと補足はしたい。

 

引用した部分のように私も言われて育ってきた。実際、高い学力を身につけることは、人生の選択肢を増やしてくれると思う。

私は医学部に入ったことを後悔はしていないし、まさに身を削って様々な学費を払い、私に学ばせてくれた両親に感謝している。

(だからこそ、記事中では金や名誉のために医業をするなということの引用があるが、金のためにも医業をやりたいと思う。親孝行がしたい。そのためのお金が欲しい、と思っている)

 

筆者は「険しい一本道」と比喩しているが、それも悪くないのではないと思う。

チャレンジングに生きたいのなら。

どんな道に行くにせよ、自分の「夢」を描くということは難しい。

例えば旅行に行きたいとか、そういう具体的なことではなくて、人生という、仕事とは切っても切り離せないその長い時間において、自分が何を成し遂げたいのか、ということだ。

自身の適正、好みによっていろいろなことを人は思い描くだろう。

私の父はタクシードライバーだ。今をときめくような、世界を股に掛けるようなビジネスでもなければ、革新的なテクノロジーをもたらすベンチャーでもない。

けれど、父が少なくともこれまでの人生で成し遂げたのは、私が所属する「家庭を守る」ということだと思う。それは偉業である。

 

医師になった時、思い描ける夢の選択肢は多い。

それは、医者というものが取れるスタンスとして、治療者として目の前の患者を治療し続けるというポジションから、臨床および基礎研究者として、例えば山中先生のように、「未来」の何千人、何万人もの患者を治療するポジション、あるいは医療関係のテクノロジー開発まで実に広い幅があるからだ。

同じ基礎研究者でもMDではない人からは、「潰しの効く」ポジションとして非常に羨ましがられる。実際、研究室で何度も言われた。

潰しが効くというのは、無謀なことにもチャレンジできるということである。

そこが、医師免許取得というところの可能性を広げてくれると思う。

 

決して、険しい一本道ではない。

別に誰も、二足のわらじを履いてはならないと言ってはいないのだから。

 

きらめく理想論を振りかざす人に言いたい。

必死で家庭を守り、自分たちの食べるものを減らしてまで私に学をつけるように努力し、ここまで育て上げてくれた両親の考え方は、親から遺せる「モノ」には限界があっても、知力という力は一生もの、その子孫まで遺せる可能性があると。

今の時代、教育をつけるにもお金がいる。もちろん何をするにもお金がいる。

別に何10億円の大金を望むわけでもない。

ただただ、お金は必要なのである。

生きるために。

 

私は生きるために医者になろうという道を選択した。

その道は始まったばかりの若輩者だが、その中にも夢を見出すことができている。

私の経歴を知っている人なら頷いてくれるかもしれない。

私は思春期のメンヘラと共に歩みたいという大きな夢を持っている。

 

医師という道に夢を見失った医学生に伝えたい。(受験生ではなくね)

過去記事の「医師のベクトル」でも触れたように、思い描けば可能性は無限にある。

「潰しの効く」この資格の元で、チャレンジングに生きようではないか。

そうすれば、でっかく夢が描けるのだから。