くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

主人公の風格

私は月野うさぎがなぜヒロインなのか理解できなかった。

セーラー戦士の中で、彼女は一番ドジで間抜けで、いつも泣いて仲間に助けてもらうことしかできない弱虫なのである。

そんな彼女がなぜ「一番」のポジションである主人公であるのか、幼稚園児の頃からほんの最近まで、全く理解できなかった。

 

だけれど、ふと気付いたのが自分が創作している時、登場人物を並べて整理して、関係性を膨らませて言っているときのことだった。

エロゲーの主人公には徹底的な無個性が求められるけれど、それと似ていて、物語が「関係」を巡って動くためには、その「関係」が雪崩れ込むブラックホールのような地点がなければ回転できないのである。

主人公というのは、その回転の「台風の目」のような地点にいる。

 

月野うさぎが主人公たる理由は、彼女の「周りを包み込む穏やかさ」に存在する。その周りを包み込むスキルによって、周囲のセーラー戦士たちとの関係が成立するのである。

対して、主人公ではないキャラクター、特に主人公のライバルと言った存在(少年漫画ではこの辺りが如実)だが、そこには主人公以上の魅力や際立った個性が必要で、そう言ったものを配置することで物語が自ずと動き始めるのだと、やっと分かった。

 

今更こんなことに気づくなんて、私は何てバカだったんだろうと思ったくらいだ。

 

ここでは創作の観点から、主人公を没個性的でかつ周りを巻き込むだけの人間というように捉えているけれども、それは実生活においても決して軽んじてはいけない個性だと思う。

 

何かに取り分けて「寄る」ことは簡単だ。

極端に振り切れることは非常に容易い。人嫌いでいようと思えば、徹底的に人を避ければいい。

だけれど、我々の実生活という物語も、周囲の人間を巻き込まなければ進まないのである。

したがって、全てを受け入れるという主人公のキャラクター性は、私たちが巧く生きるためにも必要なのだ。

受け入れることで生まれる人間関係と、そのことで進む人生がある。

 

月野うさぎから、主人公たる風格を知った。彼女は素晴らしい。

その点で、私はまだまだ主人公になれるような柔軟性は持ち合わせていないなあと反省していた。

ちなみに私が一番好きなのはセーラーマーキュリーです。