くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

精神の動的平衡

動的平衡というのがあって、物質的に以前の私と現在の私が異なるらしい。

同様に精神についても、多くの人が不連続な自己を思うのだろうが、それを受け入れるのは否定的な意味でこそ必要なのかもしれない。

今日まで積み上げてきた何十日、数年、何十年のものが無価値になった時、私は私の足場を見失う。

同時に今存在する私が剥き出しになって「居る」ことに気付く。

しかもその今こそ無価値になったそれまでの結果で、その点、線に見えたものは黒く大きな点のようにも思える。1次元かもしれない。

ブラックホールのように、小さな点に集約している…。

こう考えると、不連続どころか恐ろしく連続し、「これまで」に付きまとわれている。

 

2011年1月30日の日記より