くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

傷跡を晒して生きていく(自傷行為等の不快感を覚える可能性があることへの言及あるため閲覧注意)

私の左手首には、かつて自殺未遂を図った時の傷跡がある。

リストカットをするタイプではなかったから、リスカ痕ほど目立ちはしないが、見る人が見れば恐らく切った痕だと気付くと思う。

 

ある時、「私はこの傷跡も晒して生きて行きます」と言ったら、先輩に「おやめなさい、隠しなさい」と言われたことがあった。

その先輩は、年の功だけあり、言葉はいつも正しい人だった。だから私は、それを素直に受け入れた。

まあこのブログに書いてしまった時点で見えなくても見えてしまうように晒している点については目をつむっていただきたい。

 

自分は、とにかく周りからどう見られているかを気にしない。それ故に不快な思いをされた方達もいるとは思うのだが、私は私の幸せを優先したいので、結局そういう振る舞いになる。

 

昨晩twitterでぽちぽちと呟いていた、「誰かから見られると思うと萎縮してしまい、ピアノも絵も上達しなかった。けれど、それは別に気にしなくていいんだ、下手でもいい、自分が満足して弾けるならそれでいいし、絵も下手でも受け入れてくれる人もいる。そう思うと吹っ切れて、結果的に上達した」ということに関連して。

 

周りからの評価を気にすると、やはり、萎縮してしまう部分はあると思うのだ。だから、そこから自由になれると、ハッピーなのではないか、と。

けれど、あの時の先輩の「隠しておきなさい」という言葉が正しいなら、周りからどう見られてもいい、という振る舞いは間違っているのではないか?と思う瞬間がある。

 

いつも揺れている。

これを隠すべきなのか、晒すべきなのか。

 

元々私は控え目な性格だと思う。

幼稚園の時分、クリスマスツリーの下にプレゼントが置かれているのに気づいていても、母が「あ、ほら!見てごらん、プレゼントがあるよ!」と言うまでは気づかないふりをして、そこで初めて気づいたように頑張って喜んだ。当然サンタは信じていなかった。

人間失格に似たような記述があったので、ああ同じような思いをする人はいるんだ、と納得した覚えがある)

 

控え目な性格(主観)なら、周りを気にしないくらいでプラマイゼロにならないかなあ、なんてことも思う。

 

だから揺れる。やはり周りの目と言うものをきちんと・・・いや、適度なコントロールと言うべきなのだろうか。気にしすぎるのも良くない、気にしなさすぎるのも良くない、と言うことで、その塩梅を上手くしてやっていくのが、正解、なのかとは思った。

 

最初にリストカットをするタイプではないと書いたが、私の自傷行為は基本的にオーバードーズだ。酷い時はまあ、うん、とにかく酷かった。

ある時、いつもはベンゾジアゼピンでするODを、クエチアピンでしてみたところ、凄まじい眠気に襲われ足元も覚束なくなった。

そのせいで階段から転落し、私のOD癖が親に発覚した。

医者に連れて行かれたけれど、「輸液だけしといてください」とお願いした。(私は薬の認容性が異様に高いため)

そこから処方制限を主治医がかけ始めたので、私にはもうODと言う自傷行為ができなくなってしまったのだ。

 

これは困った、と言うことで、それならリストカットしてみればいーんじゃない?と思い立ってリストカットしてみた。

恐ろしいですね、本当に切っても痛くないなんて思いもしなかった。

幸いにもこちらの傷跡は全くない。

漢方の方のかかりつけで「やっちまいました」と伝えたら、「もーあなた医者になるのに〜。これでも塗っときなさい」と、ただ紫雲膏を渡してくれた先生は優しかった。

 

でも自殺未遂の傷跡は消えていない。

恋人に、別れた後気付いていたか尋ねたら、「気付いていたけど怖くて聞けなかった」と言われたこともある。

 

あの時、良く切れるはずの貝印カミソリで、どれだけ抉っても切れなかった血管を思い出す。

死にたい、これが切れれば死ねるはずなのに。むちむちの血管はカミソリを拒んで、切れてくれなかった。涙が出た。

しばらく試みて無理だったので、親に連絡して。

 

振り返って、思うのだ。

カミソリを拒んだ血管から、生きていなさいと言われているようだった。

それから、私にとってこの傷跡は、どんなに死にたくなっても、まだ生きていろよ、と言うメッセージになった。

 

だから私は、「晒して生きて行きます」と言ったのだ。

それが正しいのか、いけないことなのか、本当に分からない。

本当に。

 

どちらを、選ぶべきなのでしょうか。

 

精神疾患へのスティグマをぶち破りたい。フォローしているMARUくんと言っていたことだ。

それなら、私は躁鬱をカミングアウトして、傷跡も晒せばいいのではないか?

だってこの傷跡は、私にまだ生きていろと言っているのだから。

それは、いけないことなのでしょうか。

 

答えが、出ません。