「詩人になれないなら、何にもなりたくない」
時に人は自らが定めた目標に翻弄される。
高過ぎる目標であったり、縁なく叶わぬ目標であったり。
なりたい自己像とは誰だってある程度持っているものだが、それが余りにも「分不相応」であったり、強過ぎたりした時に、現実と夢の間で人間は病んでしまう。
ま、医学部再受験生とか多浪生とか、具体的に当てはまると思って、「先生」バイトをしている。だから、時にそんな悩みに出くわして、しかし私の力だけでは彼や彼女の考え方を変えることはできず、無力だと思う。
いや、やれないことはないのだ。
無理矢理進学させてしまえば、そこでまた気付くものがあるというもの。
でも、そんなところの責任の一端を私が担える筈もない。
「置かれた場所で咲きなさい」という本があり、読んではいないが、そういう旨の名言もあるし、目標に固執するよりも、そういう生き方の方が、ぬるりと水草をかき分け泳ぐ魚のように生きられる。だから、そうしたいと思っている。
詩人になれないなら、なれる何かで良いのだ。
何も自分で車輪を作り出し、それに轢かれてしまう必要はない。