宅浪と孤独、twitter
思えば、宅浪経験が豊富になった。
大学受験時、一年間宅浪しているし、去年の国試浪人も宅浪だった。
元々、あまり外に出なくても良い、要はインドアなタイプなので、あまり人と接触できないことに不満はなかった。
特に大学受験の時などは、まだ「遊び」というものを覚えていなかったし。
けれど、よくよく考えると、私の宅浪はtwitterに支えられて来た。
大学受験の時はKU受験クラスタと絡み、そっから派生して色々と知り合いができた。
今でも交流がある人もいる。
国試浪人も、Skype勉強会という形で、文字だけでなく「声で」繋がっている。
人との接触は、直接のものではなかったけれど、ある程度あった。
疲れやすい、教室など閉鎖空間で不安発作を起こす私には、宅浪はぴったりだった。
コスパも良い。
だから私は別に宅浪を勇気ある選択だとか、宅浪だから無理だとか、そういうことは思っていない。
けれどふと思ったのが、昔の宅浪生はどんなだったのだろうと。
めぞん一刻に出てくる伍代君は予備校に行っていたけれど。あの時代には、今のようなSNSなどなかったはずだ。
予備校に行かない受験生たちはどうしていたのだろうか。
恐らく、それなりに友人と連絡を取り、たまに会ったりとリフレッシュはしていただろうけど。
でもSNSやSkype勉強会のような「常に寄り添ってくれている」感じはあまりなさそうだと思う。
勉三さんが113回Skype勉強会のまとめとして、「孤独を癒してくれた」という趣旨のことを書かれていた。
だから、ああやはりこの状況で孤独を感じる人もいるんだなと。
色んな人がいるから、宅浪が辛い人もいる。
それでも、ああ恵まれた時代になったもんだなあと思う。
medu4はじめ動画配信の授業、SNSでの繋がり。
人間は基本的には人と繋がりたいと思う存在だから。
言いたいことは特にないですけれども。
しみじみ実感し、ある意味でその現実を不思議だなあ、と思っている自分がいる。