くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

夢、それは誰の夢

親孝行の話である。

 

113回医師国家試験が終了し、自己採点を終えた私は、人目も憚らず涙を零しながら京阪電車に揺られていた。

七割は取れるという思いがあった中での現実。

小田和正の「グッバイ」を聴きながら、どうしてこんなに遠回りなんだろうと嘆いた。

 

私の夢は、お金持ちになって立派な家を建てることだった。

それは、よくある話ではあるが、幼い頃に家計が傾き、住みなれた家を離れた記憶から来ている。

気持ちの良い、いい家を建てて、両親にゆったりと過ごして欲しい。

まだまだ若い母とは、たくさん旅行もしたい。

そういうことが、結局は私の夢だった。

 

だけれど、もっと別のスケールで考えた時、つまり、自分自身の身一つ「だけ」を考えた時、私の夢というのは、一つ、精神科医になって精神疾患へのスティグマを変えたい(尊敬する高木先生のように)二つ、研究者になるならば、漢方薬の研究をして医学にパラダイムシフトを起こしたい。

スケールが大き過ぎる感は否めないが、夢は大きい方がいいということで許して欲しい。

 

そんないくつもの「夢」の中で、このまま医師国家試験に合格できなければ、まず根本にある「親孝行」ができなくなる。それが悲しかった。

点数は、去年に比べてあまり伸びているとは言い難かった。

一年間の中、途中でアクシデントはあったとは言え、もっとやれたはずだ、もっと頑張れたはずだ、と思った。

責める気持ちの中で、もう諦めようか、と思った。ふと。

 

母にLINEをした。

「お父さんやお母さんに豊かな暮らしをさせてあげたいということはできなくなるけれど、どうか私の身一つの幸せだけ求めることを許してくれるなら、もう諦めて大学院に進学して、研究者になりたい」と。

 

今は不合格を受け入れ、勉強も始めているけれど、最初二日くらいは「これからどうしよう、大学院に行こうかな、でもそうしたら親孝行できなくなってしまう」そんな風に考えては悲嘆していた。

 

結論から言えば、大学院進学は我が家の経済的状況から現実的ではなく、「受かるまで受け続けます」という切り替えになったわけだけれど。

 

ただ、あまりにも私が、大学院大学院と言うものだから、父も交えて話をした。

そうしたら、父が言ったのだ。

「儂らは今の借家で十分だし、豪勢なことはできなくても慎ましやかに生きていければそれでいい。でも、お前が立派な家を建てたい、そこで両親と暮らしたいと言うから、それがお前の夢なんだと思って、それを応援し、見守って来た。だから、そんな風に、多く稼げない、申し訳ないなんて言うけれど、別にそれは儂らの本意ではない。だから、申し訳ないなんて思わなくていい。ただ、お前が自立して、お前が自分の夢を掴んで、お前が幸せになってくれたらそれでいい」

 

母は以前、これだけ頑張って(娘を)教育しやって来たのだから、報われたい、と叫んだことがあった。

でもそれは、人間誰しもが抱える矛盾なのだと思う。

母もまた、父と同じ気持ちで居てくれた。

 

私は、勝手に親孝行することは父母に豊かさを与えることだと思って居た。

与えるなんて言葉もおこがましい、これまで支えて来てくれたお礼として、そう云うものを返していくのが親孝行なんだと。

 

いつの間に夢がすり替わったのだろう。

すり替わったのではない。

最初から、私が親孝行とは何たるものか、分かっていなかったのだ。

 

「必ず、腕のいい精神科医になります。この世でまるで不可触民のように疎外されている精神障害者、一人でも多くの人の傘になります」

 

そう、約束した。

 

いつもつい忘れそうになるけれど、親孝行の本分、父母の気持ちを有り難く受け取りたい。

そんな113回医師国家試験だった。