日の名残りvs浮世の画家
- 作者: カズオイシグロ,Kazuo Ishiguro,土屋政雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2001/05/01
- メディア: 文庫
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ノーベル文学賞が見送りになったので、去年の受賞作家であるカズオ・イシグロについて。
最も有名なのは、「日の名残り」か「わたしを離さないで」のどちらかだろうと思う。
で、「日の名残り」は「浮世の画家」と全く同じ構造の小説である。
カズオ・イシグロも自身のインタビューでそう語っていた。
「浮世の画家」で描いた「変化する時代とそこへの哀愁」という普遍的なテーマが、舞台が日本であること、自身が日系人であることによるフィルターを通しているのではないか、ということから「日の名残り」に挑戦したらしい。
単純に、この二作品どちらが面白かったかといえば、私は浮世の画家の方が好きだ。
よく見ると翻訳者が違っていて、その要素も大いにあるとは思う。
日の名残りはイギリスの古き良き執事という主人公の立場からか、少々慇懃無礼にも思えるほどまどろっこしい文章で、読みにくさがある。
浮世の画家については、文章は洗練されていて、かつての栄光と変わりゆく時代・価値観を見つめる老人の心の揺らぎが繊細に描かれている。
この二者はテーマは全く同じであるから、心に残る感慨というものが似通っているのだが、文章の香り立ちが違うと思った。
さながらこの両作品の主人公が住まう屋敷のように、日の名残りはどこか堅苦しい密閉された空気を感じさせるのに対し、浮世の画家では、少し風が吹き抜ける庭を感じる。
これからの時代、価値観がどのように変化するかは、到底私には予見できない。
だが、確実に時代のスピードにアクセルがかかり、SNSの発達やCtoCビジネスの台頭、LGBTや国籍などに付いて回る多様性を要求する空気、ジェンダー論、そういったものから、かつては「こうあるべき」とされたロールモデルが打ち倒され、金子みすゞの詩のように「みんな違ってみんないい」という各「私」を主体に廻る世界が築かれつつあるのを感じる。
「セカイ系」というと侮蔑のようなニュアンスを含んでいるように感じるけれど、「私」と「繋がり」で捉えられる世界と価値観というのは、まさにセカイ系だと思う。
私は割と古臭い人間なので、古典的女性のロールモデルの道はもちろん現時点で既にそこに乗っているとは言い難いけれど、「結婚して家を建てて」という男と女のロールモデルを合わせたような人生を信仰している。
年老いた方達が「今の若い子は」と呟くように、いつか私も自身の価値観では到底受け入れられない新しい感性に出会い、同じように自分を正当化しようとするのだと思う。
何十年もかけて築いた人生の軌跡が、時代の変化により否定されて行くのは辛いものであると思う。
そうして自分を「あいつらは馬鹿だ」「本当は分かっていると思うけれど、敢えて自分は言わないんだ」みたいなスタンスで立ち向かわせて行くのだろう。
最後に、浮世の画家はカズオ・イシグロ作品の中では一番のおすすめです。