くうきあなのはなし

愛は孤独を救わない

ボーイズラブ〜私にとっての解釈〜

これは単なる私にとってのボーイズラブ論だが。

少しだけ、拡大してある程度の人に当てはまることではないかと思う。

 

中学生になりオタクの道へ足を踏み入れ、もちろんNLという選択肢もあるが、女の子にはBLという選択肢もある。GLもね。

 

ただ、私にとってボーイズラブというのは、ホモではなくて、「性を持たない者同士の恋愛」である。

 

それは男とか女とかを意識させなくて良い。

特に成熟期の自分にとっては、女である自分、女になり行く自分に対する戸惑いと嫌悪感があったので、BLの「大きな胸のない」「穴の不明な」(←やおい穴と呼ばれる)感覚は中性的なもの同士の交わり、性を超越したものの交わりとして受け止められていたように思う。

 

要は、女らしさや男らしさを感じさせないことが快適だったのだ。

嫌悪感のない世界だった。

 

風と木の詩ボーイズラブを描いて漫画界に衝撃をもたらした竹宮恵子だが、なぜジルベールが女ではなく男ではいけなかったのかというと、少女の成長過程という微細な時期の心性の機微を描くには、性を感じさせない中性的、つまり少年である必要があったのではないかと思う。

 

女性オタクにはGLもいける方がいるが私は全く受け付けない。かなりの嫌悪感がある。

要はエロ過ぎるのだ。

 

BLは成長過程の女性に必要なものなのではないか、というお話。